そうだGN125で峠行こう!?超B級昭和鈴菌ライフ

金無し、腕無し、知識は多少あり。
GN125を走りのバイクに進化させていきます。
昭和レトロな走り屋風を目指しています。
純正流用、人柱、男は度胸なんでもやってみるもんさ!
3流とB級をこよなく愛する貧乏人なのです
たまに格安腕時計、4輪のミラバンL275V、栃木県のB級なもの、C級グルメ記事もあります。
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B級レーシングマシンカタログ YZR-M1 2003

モトGPを愛する皆様こんにちは


モトGPを見初めて十数年、チープマンです


私が一番印象に残っているシーズンの1つ2003年


大治郎選手の死、ジベルノー選手の覚醒、ロッシ選手の圧倒的強さ


全部ホンダではないか!


そんなホンダの年だった2003年、ヤマハは暗黒の年となりました


数10年ぶりにシーズンで優勝していない年だったそうです


バロス選手が3位表彰台に登るのがやっとこさっとこ

フォルトゥナカラーが懐かしい


カウリングも大きめで一昔感がありますね


エースだった酔いどれビアッジ選手はヤマハに嫌気がさしたのかホンダに移籍し、エースの不在感はいなめませんでした


ビアッジ選手はマシンが遅いんだ俺は速いんだと言いたげ


在籍していたチェカ選手や新しく加入したバロス選手、中野選手、ノリック、メランドリ選手、オリビエジャック選手等そうそうたるメンバーでしたが2003年はどうにも速さが足りない


チェカ選手とバロス選手の開発能力が足りなかったためらしいです


そして新規に参戦してきたドゥカティにコンストラクターランキング二位を奪われる始末


衝撃的でしたね~ドゥカティはいきなり初優勝と結果をだしました


それらが原因だったのかヤマハは遂に王者バレンティーノロッシ(巻き舌で言うとそれっぽい)を獲得

https://youtu.be/8U0c-may2hg

まだエンジンがスイートじゃないころのテスト風景


ヤマハの代名詞クロスプレーンは2004年からの採用


2004年は正にロッシ劇場


ヤマハに来ていきなり優勝、いきなりチャンピオン


ホンダが速いんじゃない、俺が速いんだと言わんばかりの快進撃


チェカ選手とバロス選手の立場が無い状態であります



M1を語る上で最も影の薄い2003年のM1はヤマハのターニングポイント


ここからヤマハの快進撃が始まるのであります


そんな暗黒の2003年のM1をたまには思い出してあげましょう