B級レーシングマシンカタログ YZR-M1 2003
モトGPを愛する皆様こんにちは
モトGPを見初めて十数年、チープマンです
私が一番印象に残っているシーズンの1つ2003年
大治郎選手の死、ジベルノー選手の覚醒、ロッシ選手の圧倒的強さ
全部ホンダではないか!
そんなホンダの年だった2003年、ヤマハは暗黒の年となりました
数10年ぶりにシーズンで優勝していない年だったそうです
バロス選手が3位表彰台に登るのがやっとこさっとこ
フォルトゥナカラーが懐かしい
カウリングも大きめで一昔感がありますね
エースだった酔いどれビアッジ選手はヤマハに嫌気がさしたのかホンダに移籍し、エースの不在感はいなめませんでした
ビアッジ選手はマシンが遅いんだ俺は速いんだと言いたげ
在籍していたチェカ選手や新しく加入したバロス選手、中野選手、ノリック、メランドリ選手、オリビエジャック選手等そうそうたるメンバーでしたが2003年はどうにも速さが足りない
チェカ選手とバロス選手の開発能力が足りなかったためらしいです
そして新規に参戦してきたドゥカティにコンストラクターランキング二位を奪われる始末
衝撃的でしたね~ドゥカティはいきなり初優勝と結果をだしました
それらが原因だったのかヤマハは遂に王者バレンティーノロッシ(巻き舌で言うとそれっぽい)を獲得
まだエンジンがスイートじゃないころのテスト風景
ヤマハの代名詞クロスプレーンは2004年からの採用
2004年は正にロッシ劇場
ヤマハに来ていきなり優勝、いきなりチャンピオン
ホンダが速いんじゃない、俺が速いんだと言わんばかりの快進撃
チェカ選手とバロス選手の立場が無い状態であります
M1を語る上で最も影の薄い2003年のM1はヤマハのターニングポイント
ここからヤマハの快進撃が始まるのであります
そんな暗黒の2003年のM1をたまには思い出してあげましょう
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